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シンガポールストーリー最終回

<そして>



「妻がいる。」
「・・・」
「騙しているつもりはなかった。」
「・・・」
「でも、もう何年も別居してる。」
「・・・」 


新しくできたオーチャードの高島屋の前にいた。
今、沙里は私の前にいる。
それでも沙里とは続いた。
実を言うと、あの「告白」の後のことはよく覚えていない。
沙里が泣いた気がする。でも、それもよく覚えていない。
間違いなく覚えていること。それは、沙里が一言も言わなかったことだけだった。


とにかく、あのあと一週間、沙里は私の前に現れなかった。
そして、突然、私の前に現れた。何事もなかったかのように。
何も要求しない。これが本当の「愛」では?
と、思ったりしたが、それは「男のエゴ」なんだろうな。
オーチャード通り。観光客で溢れてはいるが、私のような地元?の人も結構多い。
歩道も広く、そこにある出店で食べ物を買って椅子で食べたり飲んだりする。


そこでコーヒーを飲みながら、
「来た当時はシンガポール嫌いだったなあ。」
「言ってたよね。」
「沙里はどうしてシンガポール旅行しようと思ったの?」
「私はね、アジアが好きなの。」
「ふーん、でも、だったらもっとアジアらしい、タイとかの方が・・」
「行くつもりだったわよ。でも、ここで田無さんに会ったから。」
「・・・」
「それと、ここで働いてもいいかなって考えたこともあったし」
「え?でも前にそれはって」
「『勇気』がいるって言ったわよね。考えたことはあったの。」
「そうかあ・・働くんだったらタイとかよりもね。」
「タイ語できないし。」
「はははは!」
避けていた。どうみても二人とも避けていた。「私の妻」の話を。
「シンガポール嫌いだったって言ったわよね。」
「うん」
「ということは今は好き?」
「うん」
「どうして?」
「気づいたんだ。」
「何に?」
「生意気に言うと『私もアジア人』だってことに。」
「え?」
「金融の世界にいる者だからやむを得ない面もあったけど、やはり、仕事でも遊びでも欧米が主流だと思っていた。」
「うん」
「でも」
「でも?」
「違うことに気づいたんだ。」
「違う?」
「そう、別にどちらが主流でも無いんだ。それぞれやり方があるんだ。」
「アジアにはアジアの?」
「そう」
「そして『私はアジア人』だし。それに」
「それに?」
「私もシンガポールで沙里に会った。だからここが好き。」


沙里に初めて会ってから5年がたっていた。
ハイティー*1しながら、私はふと尋ねた。
「沙里。他の国に旅行したいと思わなかった?」
「え?」
「シンガポールばかりじゃ・・と思わなかった?」
「・・・」
はっと気が付いた。それをだめにしていたのは自分ではないか!
「田無さん」
「何?」
「田無さんってわかってない。」
「ごめん、そうだよね。他の国にも行きたかったんだよね。それを僕が」
「そうじゃない」
「え?」


「私ね、私がまさか『不倫』するとは思わなかった。」
沙里があれ以来全く口にしなかった「私の妻」のことを話し始めていた。
「世の中の不倫してる女性って、多くはこうして不倫が始まるんだって、よくわかった。」
「・・・」
「知らない間に始まってる。」
「・・・」
「そして、後戻りできない。」
「・・・」
「そして、『不倫』には終わりがある。」
「・・・」
「終わりましょう、私達も。」
突然、こんな終わりが来る。
そんな予感はしていた。でも・・・
「嫌だ!」
「・・・」
「なぜ何だ!なぜ、今なんだ!」
涙が止め処も無く出て来た。
本当はこんな時、すんなり別れるのが格好いいのだろう。
でも、私にはそれは出来なかった。
やはり、心の準備が必要だった。
しかし、もう沙里の気持ちが変わらない事は、何故か私にもよくわかった。


チャンギ空港。
そういえば、出会ったのもここだった。
私にとって「忘れ得ない空港」になるな。
あのハイティーで終わろうとする沙里に、最後まで抵抗し、
一応「別れの場」を設定した。
高速を車で送っている間、一言も話さなかった。
話せなかった。
そして、チェックインを済ませ、やっと沙里が口を開いた。
「ありがとう。」
「こちらこそ。」
「いい思い出になった。」
「そうしたくないけど。」
「それと、最後も明るく別れてくれて、ありがとう。」
「そうしたくないけど。」
「じゃあ、行くね。」
「うん」
うんじゃないだろ!他に言う言葉は無いのか!
と自分が情けなくなった。
そこに沙里の最後の言葉が続いた。



「いつか、あなたの名前をどこかで見つけたい」



*1 午後のデザート付きお茶アフタヌーンティー。シンガポールはイギリスの植民地だったため、一部イギリス風の習慣が残っている。一番有名な場所はグッドウッドパークホテル。