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シンガポールストーリー5

引き続き読んでくれている人がいて、
感謝!
本当にありがとうございます。
では、ペース速いですが・・


<深堀>


沙里と連絡がつかないまま3ヶ月がたった。


会ったのが「春」だったのに、季節はとうに「夏」・・・
と書きたいところだが、シンガポールには四季がなかった。
あるのは、よく区別がわからない*1「乾季」と「雨季」のみ。
とにかく、こういうとき、超遠距離恋愛は困る。
そこで、思いついたのが「深堀」だった。
私の高校の同級生。でも変わっていて、家が医者でもないのに、
「金儲けのために医者になるんだ!」
と夢のあるはず*2の高校時代から言っていて、
4浪もして医大に入り、この度、晴れて医者となった男。
早速連絡を取ったところ、高校時代から、「おもしろいこと」が好きだった彼は、すぐ引き受けてくれた。


彼の連絡(手紙で報告が来た。まるで「探偵」のような)が来るまでの日にちの長かったこと。
そこには、以下のことが書いてあった。
「1.会社はやめた模様
 2. 自宅はわからず
 3. 友人らしき人もわからず
要は何もわからなかった。すまん。
ただ、ひとつ気になることがある。手紙では説明できない。
電話くれ。」


「トゥルルルル・・・・、トゥルルルルル・・・、トゥルルルル・・・」
また居ない。あいつ・・・どこ行ってるんだ!*3
と受話器を置いたところ、電話が鳴った。
「田無さんですか?」
「はい」
「ご無沙汰してます。私、菊池です。」
あ!そうだ!菊池さんがいたんだ!なぜ、今までそれに気が付かなかったんだろう?
と思っていると、菊池さんが続けて、
「沙里さんがシンガポールに来てます。ニューオータニの日本レストラン知ってます?*4そこに今日8時に来てください。」


ニューオータニの日本レストラン?知らないわけがないではないか?
何度、そこに沙里と行ったか・・
シンガポールに赴任するまでは、そんなに日本食が好きというわけでもなかった私だったが、
ご多分にもれず*5、私も日本食が好きになっていた。
と言ってもここは外国、うまい日本食は少なかった。
そんな中で、私が気に入っていたひとつがそこだったのだ。
おっと、今はそんなことより、沙里と再会したとき、どうするかである。
さすがに鈍感な私も、たぶん、沙里が「フェリシア」のことで「去って行った」ことには気づいていた。



*1 「乾季」も雨は降ります。
*2 このころは今と違って高校生はまだ夢を持っていた。・・・・と私は思う
*3 しつこいようですが、この時代、まだ携帯はあまり普及していませんでした。
*4 ニューオータニもその日本レストランももうありません。
*5 海外で生活すると日本が恋しくなるものです。


たまには写真にコメント。
以下は旧ニューオータニではありません。
あの有名なシンガポールスリングができたホテル、
ラッフルズ。