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シンガポールストーリー6

次から次へとコメが来て、
いや~作家冥利につきるなあ・・
な~んて作家じゃないけど(笑)
とにかく、ありがとうござます。


<菊池>



「ゴメン」
開口一番、私が言った言葉はそれだった。
「何が?」
とは沙里。
「フェリシアのこと・・」
「ああ、・・・・いいの・・・そんなこと・・・そんなことじゃないの・・・」
えーーーー!それではこれからの会話、私が用意してきた様々な「言い訳」は・・・
と考えはしたが、深刻そうな沙里の顔を見て、
「どうしたの?」
「うん、いろいろあって、会社辞めて、引っ越して・・・」
「いろいろって?」
「うん・・・・」
「・・・・」


聞かないほうがいいこともあるか・・・
「いいよ。話したくなったら言って!」
「ありがと」
では、話変えなきゃ!さて、何に?と思ったとき思い出したのが、
「そう言えば、菊池さん」
「何?」
「シンガポールにいるんだよね。」
「うん」
「日本の旅行社じゃないんだよね。」
「うん」
「僕のような日本の会社から派遣されていると、現地で就職してって信じられないないな。」*1
「何が?」
「勇気あるって言うか・・」
「勇気はある子よ。」
「沙里はそういうこと考えたことないの?」
「それって、私にシンガポールに来て欲しいという意味?」
「いや、沙里だったら、そういう『勇気』というか、持ってるんじゃないかと。」
「勇気は持ってるかもしれない。でも」
「でも?」
「勇気だけじゃ、海外に、それも女性ひとりで就職なんてできないんじゃない?」
「そうだよな・・・僕みたいに日本の企業に保護されている奴にはわからない苦労あるんだろうね。」
「そうよ。彼女大変なのよ。」
「一度会いたいな。」
「フェリシアさんのように・・・」
「いや、そういうわけじゃ・・いや、えーーーー」
決してそういうつもりで言ったわけではなく、今回のように沙里に連絡が取れないときの
連絡先というつもりだったんだが、こう言われると・・


「冗談よ」
と沙里。
「でも、知らないほうがいいこともあるでしょ?」
「え?」
「と言うか、知らないほうが神秘めいていていいでしょ」
菊池さんが「神秘めいていて」何が私にとっておもしろいんだと思いはしたが。
「そう言えば、彼女、田無さんと違って、こっちの食べ物好きなのよ。」
「僕だって嫌いじゃないよ。」
「私との時は日本食が多いわよ。」
「それは・・」
「それは、私だからでしょ。気を使わない!」
「そう。」
「わかってるわよ。」
「何が好きなの?」
「彼女?それとも私?」
「いじわるだなあ・・・沙里」
「私はねえ、骨肉茶*2かなあ」
「骨肉茶かあ。場所によってちょっと違うんだよ。」
「え?」
「たとえば、マレーシアとは違うし、マレーシア国内でもジョホールとペナンでは違う。」
「そうかあ・・」
「それぞれ、ご当地が一番だと言ってる。」
「マレー人とシンガポーリアンの違いかな?」
「マレー人?マレー人、イスラムだから豚肉食べないよ。」
「あ、そうか、じゃあ、マレーシアの中国人との違いかな?」
「そうかも。」


駐在していると、現地のことをこのようにこちらから沙里に教えることが多いと思うが、
結構、沙里に指摘され気づくことも多かった。




*1 もうすでにこのころから、シンガポールの会社に就職して頑張っている日本女性はかなりいた。もちろん欧米ほどではないが。
*2 『ばくうてい』と読み、骨付き豚肉の煮込み。


今ではたくさんフードコートができましたが、この当時は、
ホーカー(屋台村)と言えば以下の写真のニュートンサーカスが有名でした。
そのニュートンサーカスもかなり変わりましたが。